初めてのICU体験記。

術後の昏睡状態の時の事。

 

昏睡状態でも【周りの声】【周りの音】は聞こえました。

 

あまりにも周りが煩く感じたのか?

『いま、何時ですか?』『いまICUですか?』と聴いた記憶が有ります。

と言っても自分自身、昏睡状態とは思っていなかったんですけど、意識が大分戻ってきた意識混濁の中、18時頃から少しずつ看護師の方に聞いて、答え合わせをしていきました。

 

点滴の3Aがどうとか、ノルアド(血圧上昇の薬)がどうとか、血糖が上がらないとか、持って来ていた持参の薬の引き継ぎの内容も聞こえていました(笑)

 

血糖は一晩中、定まらなかった様です。

看護師の方が、説明してくれていました。

それがアノ「海穂さんの血糖が血糖が上がりません!17です!!」です。

 

挙句には何時か分からないけども、38度以上の熱が出て大声で「熱いー!!」って騒ぎ暴れた?記憶も有ります。

夜勤帯での引き継ぎの時だろうか?

僕の腕や足を懸命にさすって、大丈夫だよって声を掛けて、布団をかけてくれた看護師さんも居ました。

 

でも意識は混濁していて、直ぐにスゥーっと眠りにつくんですけど麻酔明けの自分のイビキで目が覚めたり。

後で聞いた話、気管支が腫れていイビキをかくらしいです。

 

しっかりと意識が開け始めたのが翌朝の6時頃でしたね。

多分5時半過ぎたところかな?

その時も、昏睡状態の意識混濁の時の事を聞きました。

それで、納得した感じです。

 

布団をかけ直してくれた看護師さんの事も分かりました。

朝に色々とお話をしました。

 

背抜き。って言う専門用語なんですが、背中を摩って貰ったり、体位交換をお願いしたり。

そこからの時間が長くて長くて(笑)

 

明け方から、看護師の方に足を動かす様にして下さいね。

と言われていたので、膝を立てたりしながら過ごしていました。

血糖値が定まらず、ICUにもう一泊!とか朝の回診の時に言われて…。

看護師さんに『病棟に戻れるように頑張ります!』と言って、足を動かしたり、車椅子移乗で座位保持の練習も数回して20分座ったり。

お昼ご飯はビックリしたんですが、普通に普通食でビーフカレーで(笑)

度肝を抜かれたんですよね。てっきり、お粥だと思っていたから。

 

褥瘡防止のエアーマット上でギャッジアップして、上がらない右腕を必死に上げて、左手には点滴で血圧も測れる様になっている手を使って、何回もお茶碗を落とし、箸、スプーンを落としながらも必死に【全量】を食べたんです。

 

そしたら、様子を見にきた主治医の先生に見抜かれて…

「何も全部食べなくても。。。」と失笑されて(笑)

それで、病棟に戻れたんです。

 

病棟に戻ってからも、出来る限りの事を自分でやっていたら、夜中に再度の38℃の熱とSPO2が90%を切ってカヌラで酸素吸入と(苦笑)

でも、翌日からバンバンとお友達の管が外れて、翌々日には大部屋に移れたのです。それが【チーム11】で改めて【チーム17】となりました(笑)

 

ICUを出る時に見た機器たちの凄さに感動しました。

ICUの個室で過ごした凄さに感謝しました。

 

褐色細胞腫って病気の症状とかは、個々に個体が違う様に症状も違うので、こういう症状なんです!

とは言えないのですが、僕の場合は血圧上昇もそうでしたが、術前にあまり説明がされて居なかった低血糖が凄かった様です。

 

そう言えば…。

今回の全身麻酔の時は「ゆらゆら」と消えて行く様な感覚で麻酔にかかったと言う感じでした。

いつも?ならば数を数えていたんだけどね。

初めてのICU体験記でした(笑)

 

※写真はICUから戻って来た時です。

目覚める。

やっぱり夜中に痛みに襲われて…

目覚める。

頓服薬また登場。

起床時、ふと感じたことは…

 

痛みが埋没法でステリで貼られいる部分では無く、中身であると。

要は痛みが【内臓の部分】に移行していると言う事だ〜

( = ̄+∇ ̄=)v イエーイ

 

まだ中側の縫合部分は溶ける糸は溶けてないのかな?

3箇所を穴開けて、1箇所を切り開いて9センチ以上の褐色細胞腫を取り出していたら、そりゃまだ痛いよな…

( ̄O ̄;)

♪ひょっこらひょっこら♪と杖付きで駅まで。

今日も朝から病院タイムで起床(笑)

でも、ゆっくりと布団の中に居まして。

 

入院中に切らして代替えで用意されていた薬が切れたので

『骨密度』の薬の処方箋を取りに整形外科へ。

 

♪ひょっこらひょっこら♪と杖付きで駅まで行き、電車で。

 

♬退院後に乗る初めての電車です♬

 

楽しみにしていましたが…

結果、もう辛くて辛くて(;´Д`A ```

座席に座るも、電車の揺れに腹部が痛み出し、立とうとするも力が入らずに座ったままでして。

結局、降りるまで座ったままでした←立とうとする方が危険かしら??(笑)

 

病院(整形外科)まで、普通に歩いて徒歩3分位なんですが、今は徒歩6分位です~。

病院(整形外科)に着いて、骨密度の処方箋をと依頼して、処方箋を貰って、トンボ返りで電車。

これまた具合悪くなる…電車酔いをしてしまいました(;´・ω・)

電車を降りて薬局にて処方箋を出し、薬をもらって帰宅。

 

その後、母から電話が有り、保険等の書類の事を直接、担当の方として欲しいと。

実家では父が倒れて緊急入院し、退院後の父の認知症が酷くなってしまい大変らしく対応が難しいと…。

 

父の様子を少し聞きましたけど想像が出来てしまう位だったので、母には早急に包括(ケアマネ)に相談して、特養なりし、グループホーム、有料(高いけど)、デイサービスへの入所相談をした方が良いと思う事を話しました。

あと、認定の相談もした方が良い事も。家に火でも放たれたら大変だし、2階の階段からとか落ちられても大変だからと。

 

現在は要介護2?で週2回、リハビリ通所のサービスを利用しています。

変な話、実家の方の介護サービスがある所が余り分からないので、なんとも言えないのですが、かかりつけの病院が大きめの病院なので、大丈夫だと思うんですけど。

 

ちなみに、以前に僕が働いていた法人の併設病院への受診も決まっている様子なので安心はしています。

そんな事が有った今日なんですけど…

 

実は朝いちばん?に、ある所から電話が有り、内心激情してしまいました。対応は普通にしましたが…。

退院間もない人に対して放つ言葉ではない事にちょっといい加減にして欲しい。と思ってしまいました。

本当に、あっちもこっちもそっちも…と対応しきれないですよ。

あぁぁ、早く楽になりたいです。

アウトドアの画像のようです

1㎝ずつ動くのろまな亀から亀に昇格。

夜中1時過ぎ。

やっぱり痛みで目が覚めた(;^ω^)

 

夜に女子とイケメンの笑わせる

テレビで腹がよじれるほど笑いすぎたからか?

 

頓服登場で飲んで再度、就寝。

でも病院タイムで6時には目が覚めてしまいました。

結構、病院タイムを退院後から過ごしている僕です(笑)

健康的な過ごし方ですかね?

 

昼間の散歩終了♪( ´▽`)

近くのドラックストアまで買い物してきました。

いつも付いてない杖突なもんだから、買い物先の方々とお話。

涙目になっちゃったオバちゃん・・

 

僕の病気を見つけてくれたクリニック前にてパチリ。

 

 

 

えっちらおっちら。

えっちらおっちら。

昼前に部屋を出発!

 

片瀬江ノ島駅近のLAWSONまで。

入院中に売店のローソンで当たったコレを貰いに(笑)

 

近い内に、リハビリの病院に行く予定でいたので、その時でも良かったのですが何となく散歩も兼ねてで。

 

亀の様に1㎝ずつ?ゆっくり歩いていたのでウチから片瀬江ノ島⇄ウチで2.2キロ。

約1時間半かかりました(笑)

 

杖持って着いて(病院だと手すりがあるけど外にはありません。以前、左膝靱帯部分断裂の時に松葉杖以降、使用していた物)

LAWSONでイートインして休んでから再度、海岸線を歩き部屋にたどり着きました。

 

14時近くかな?

退院直後の人が歩く距離では無いですかね?(笑)

久しぶりに海の香りを嗅いできました。

 

 

 

 

 

、「docomo 15:05 概要 44% 6月18日(金) 屋外ウォーキング フリーゴール å 12:01 13:41 1藤沢市 合計時間 1:13:51 距離 2.26K㎞ アクティブキロカロリー 111KCAL 合計キロカロリー 200KCAL 上昇した高度 10m 高度 -5M 最高 11M 最低 平均心拍数 92拍/分 平均ペース 32'36"/KM スプリット 心白æ」というテキストの画像のようです

 

、「docomo 15:05 概要 44% 6月18日(金) 高度 -5M 最高 -11M最低 最低 平均心拍数 92拍/分 平均ペース 32'36"/KM スプリット 心拍数 平均心拍数:92 マップ 天気 25° 湿度:57% 湿度: 57%」というテキストの画像のようです

降圧剤の副作用。

オペの為にドキサゾシン1mgの降圧剤を朝夜で2mgから始まり、手術前日は1日14mgまで飲んでいました。

 

オペを安心安全に行う為には必要な投薬でしたが、5月19日から僕はコノ薬が今までの治療の中で1番辛い投薬治療でした。

 

薬が増える度に浮腫、体重増加。

クマさんの様なお腹周りになり、足もパンパン、手も指もパンパン。

指輪の部分がはち切れキズになる…等。

 

ドキサゾシン1mgと言う降圧剤がオペ8日夕から中止となりました。

残数65錠?(4日分に匹敵)

入院中に歩ける様になってから都度、体重計に乗って確認をしてました(笑)

11日から?確認をしていたんですが…

11日.12日.13日は61キロ

月曜日は60キロ

退院前は58キロ

退院日は57キロ

今朝は55キロ←病気が発見された4月上旬の数値

3月上旬は49〜52キロ

↑目指せ、この数値!です(笑)

たった2ヶ月で急激に体重が10キロも増加して、オペを受けるって想像すらしてなかったです。

 

オペ後の僕の指は、ソーセージが5本着いている様な手でした(笑)

今は普通?に戻って来てます!

お陰で、手の甲はシワシワです🤚

 

今朝、目が覚めた時に見えた景色が自分の部屋で安心しました。

でも10日間過ごした病院では無いから…

生活の全てを自分でしなければならない事への

【責任感】が目覚めと同時にのしかかり…^^;

いろいろ考えてしまいました。

ナースコールを押しても誰も来ないんだって。

 

診療情報の書類を見て…

僕の身体には様々な投薬がされ治療をされたんだって。

ICUにも入り、血圧を上げる薬、下げる薬、ブドウ糖、麻酔薬、硬膜外麻酔(自分で打てる痛み止め)

読むだけで凄い事だったんだと。

 

入院中、身体の痛みを伝える為に分かりやすく

『お腹にナイフが常に刺さっている痛み』とか

『今日は黒ひげ危機一発の様にあちこち刺さっている感じで痛い』とか(笑)

一風変わった患者でした(爆笑)

 

自分の部屋に帰り…

しばらく療養生活です。

と言うか…いつ現場復帰出来るんだろうかな…

帰ってくるなり、ある書類を見て激情してしまったけど…

 

昨日、退院の時に友達が迎えに来てくれました。

ピルケースカレンダーに一緒に薬を整理しました。

よし!

これから、ちょい散歩して来ます!

10日間の手術入院が終了し退院。

10日間の手術、入院を経て、昨日、無事に部屋に戻ってきました!

 

この度、2021年6月7日より泌尿器科にて入院。

 

そして6月8日に副腎腫瘍の褐色細胞腫の手術を受けさせていただきました。

兼ねてより、術後はICUにて様子を診て行きます。

血圧の上昇、下降が激しい病気の手術なので。

と説明を受けていたので、ある程度、安心していました。

 

術中、術後、血圧はもちろん、低血糖の症状にて瀕死の昏睡状態と成っていたと伺いました。

血糖値は17…。

 

あの時がそうだったんだ!

 

と昏睡状態の中の記憶を思い出しました。

ICUの日勤帯の看護師の方々、夜勤帯の看護師の方々、執刀して下さった先生方、麻酔科の先生の方々…と次から次へと私の名前を呼び声をかけて下さっていた事を思い出しました。

とっくに麻酔から目が覚めているはずなのに…。

 

特にICUの夜勤の看護師の方々。

 

本当に有難うございました。

次から次へと入れ替わり立ち替わりと、暗闇の中、死の淵を彷徨っていた私を見にきて下さっていた光景が思い出し目に写ります。

特に、ICUで担当をして下さった看護師の方。

「海穂(僕の本当の苗字を読んでます)さんの血糖が血糖が血糖が上がりません!上がりません」と必死に訴えてくれていた声や状況、周りの様子が瀕死状態で昏睡状態であった自分にも届いていました。

担当医の先生も来ては「海穂さん目を開けて、目を開けるんだよ!」って。

他の先生も覗き込む様に声をかけて下さっていた。

※でも当の本人は『何だよ、目を開けろ開けろってウッセーなー。んじゃ開けるよ、大サービスだ!ほらっ!ん?あれ??でも開かないじゃん!何でだよ、開かないぞ…?』ってまた意識が薄くなり、1人で暗闇の中を死の淵を彷徨っていました。

というよりポツンと1人で座っている感じかもしれません

 

でも、また「海穂さん、目を開けて、目を開けるんだよ」って聞こえるから

『開けるの?目開けられるのかな?じゃ開けるよ?あ!開いた!』って感じで意識を取り戻しました。

『今何時ですか?』と術後に初めて聞いて聞こえたのが

「14時過ぎですよ」

『今ICUですか?手術終わったのですか?良かった』と。

でも、夜中の2時だと思っていたんですよね。

だって真っ暗な感じなんだもの。

の様な会話をした記憶があります。

 

何時頃か分からないけど、ICUの看護師さんが入れ替わり立ち替わり来て下さり

高熱を出していた僕の身体を拭いて下さったり、更衣をして下さったり。

【布団を掛け直して足元までもしっかりかけて摩って下さったり】

【口を濯いで下さったり】

【背中を摩って下さったり】

本当に良くして下さいました。有難うございます。

翌日にICUを出るまで担当して下さった看護師の方も本当に心強かったです。凄く安心していられました。

病棟に戻って来てから、2日間、個室で状態観察で居ました。

病棟でも、本当に看護師の方々の素晴らしさに感動と感謝をしています。

特にICUから戻って来た夕方と夜。

夕方の少しだけの担当の看護師さんも優しかったです。

SPO2が90%を切っているのを知らずにちょっと苦しいなぁとか夜中に思っていたら、すぐに看護師さんが来て下さって

「海穂さん苦しいでしょ?自分で酸素取れなくて鼻から酸素入れないといけないくらいだよ?酸素入れよね」と直ぐに行動してくれたのも嬉しかったです。

 

ICUでも個室でも入院直後の事でも。

 

病棟の師長さんも、入院から退院までの担当の看護師の方も。

通院中の会計担当の方とお話しして居ても。

接遇など、話し方、会話とか、一度も嫌だなって全く思わなかったです。

皆さんが同じ様な(と言うか同じなんです)接遇なんだと思います。

 

入院先の看護師の方々って、ひっきりなしに動いていて皆さんで仕事を協力していて。

普通に「それ協力するよ〜」とか「やっておくから、そっちやっておいて〜」とか

スタッフ同士の会話を聴いていても【嫌にならない会話】なんです。

 

いろんな方のお名前とか出てきていても、本当に会話のトーンが話している内容が、皆さん真剣なんです。だから何でしょうか?

 

介護福祉士として勤務している僕にとっては

【ホスピタリティ精神】を入院手術をした事で凄く学べてたと思います。

 

僕の病気は手術して全てが終わりです。

と言う病気ではないと伺っています。逆に、これからが始まりと伺っています。

泌尿器科の病気ではあるが、内分泌科の病気でもあり、他の病気にもなる可能性の高い事も。内分泌科の検査も待っています。

甲状腺の検査が待っています。

 

褐色細胞腫の病理検査結果が出てから、いろんな事があるかと思います。

良性でも悪性でも【一生涯経過観察】な病気ですが、入院先の皆さんのお陰で、これからの治療も顔晴って行けます。

本当に有り難うございました!本当にお世話になりました!

退院後も、楽しく、笑顔で生活出来る様に顔晴って行きます!

病室移動組のチーム11(11日)

こぞって4人部屋の4人退院のチーム名改めチーム17(笑)

最高に楽しい入院生活でした(笑)

※力コブの【頑張る】って結構、辛いじゃないですか。

でも【顔晴る】だと気持ちが明るくなるので,顔晴るなんです(笑)

 

2021.06.17

海穂