5年前の今日…母が倒れた。
5年前の今日…1月4日
母が、くも膜下出血で倒れた。
その日、私は早番で早くから仕事をしていた…。
初出勤の母は、車で行くかバイクで行くか悩みながらも、体調が良くなかったとの事で車で職場へ向かった…。
後から本人から聞くと、ただの疲れかと思っていたらしい…。
途中の交差点で、信号待ちの時…
激しい動悸と共に、激しく身体が飛び跳ね、天井に付くくらいの中、ブレーキを踏みしめていた。
冷や汗をかきながら、職場の駐車場に車を必死に停めて、フラフラしながらも、職場に辿り着き、そのまま倒れこんだ…。
この時、伯母が、たまたま母に髪の毛をセットしてもらいに電車で来ていて…
(母は美容師です)
店に来たのと同時に、事情を知り、スタッフが呼んだ救急車に伯母が一緒に乗り込み、知らせを受けた父が歩きで母の職場に向かっていたそうです。
その後、父は車で救急車の後を追い、病院へ向かった。
私の職場(病院介護)に連絡が来たのは11時だった。
知らせを受けた私は、その場で座り込み、塞ぎ込んだ…。
(私への連絡が遅れたのも、職場の名称が良く分からなくて、ウル覚えで、名称を救急隊員に聞いて、連絡をしたらしいです。)
理由を私の職場の師長に話して、早退させてもらった。
父は妹の職場の連絡先を知らないと言うので、私から妹に連絡をして、途中の駅で妹と落ち合い、運ばれた病院へ向った。
気が動転していた私と妹は、たった数百メートルの距離に有る病院に行くのに、タクシーを使う…。
病院に着き、真っ直ぐにICUへ。
待合室で、真っ青な父と伯母に会う。
そのまま、私と妹は…
ありとあらゆる機材を付けた母と会う。
意識を失い、薬で眠っているせいなのか、倒れた影響なのか、イビキをかいている母…。
普段、介護の仕事をしている私の目から映るその姿は、只事では無い事だけが理解出来た。
そうしている内に、ドクターとのムンテラを行なう。
- 母の状態
- 病気の症状
- 手術の内容
- 手術する為の内容
など事細かく説明を受け、ウル覚えながらも、手術の承諾書にサインをした。
午後1時から手術。
その間に、必要な物を買い出しに向かいながら、遅めの昼食を取る…。
でも、流石に4人とも喉に通らず…
病院へ戻る。
病院の待合室で過ごした時間
何時間だったかな…
ドクターに呼ばれたのは、夜22時過ぎていた…。
手術の内容の説明を聞く。
クリップ3本で動脈瘤を止めたと聞いた…。
この手術の3週間もしない内に…
母は退院した。
毎年、この日を迎える度に思い出す、何とも言えない『恐怖感』また、倒れるんじゃないだろか…
また…
と思ってしまう。
そして、母が倒れて1年後…
思いもよらない所から電話が入ったのである!
それは…
フジテレビの制作部
【こたえてちょーだい】
からである。
母が倒れた、その年の夏に、たまたま《家族の介護》だったかなぁ?
なんかのタイトルかなんかで、私がFAXを書いて送った事があった。
(たまたま妹もテレビを一緒に見ていて、お姉ちゃん書いたら?の一言がキッカケだった)
特集で『脳卒中』をする事になり…
私たち家族の事を、企画してくれたのであった…。
年始早々に取材が有り、撮影しました。
放送1時間前まで、担当者と連絡のやり取りを行い…
放映されてしまいました…(^^ゞ
そして…母は12月に還暦を無事に迎えました!