家政婦のミタ

日本テレビのドラマ
家政婦のミタ


何故、高視聴率を得られて
何故、ミタ現象が起きるのか?起きたのか?


私なりに、想う事を書いて見ます。


この世の中の人々、ひとりひとりの心の中には、【三田灯】が居るのでは?


ひとには打ち明けられない、過去を持ち
本来の自分とは反対の自分になり、生活、仕事をしているのではないだろうか?


その、打ち明けられない壮絶な過去を持つ【人】だからこそ
他人の苦しみを感じ、何とかしたい、何とかしようと力を貸すのではないだろうか?


私がミタさんだったら…
(と言うか私は、ミタさんなのかなぁ…と思いました。)

人前では平静を保ちリンとした姿を見せ、スキも見せない様にしていると思う。
でも、ひとりでいる時は、苦しくて苦しくて悲しくて悲しくて、泣いてばかりだと思う。
時には【笑顔】も見せる事も有るだろうけども、いつも表情は固いだろう…。


家政婦のミタが始まった当初、あまりモノ冷酷な内容だったので、好きにはなれないドラマでした。
でも、回を重ねる度に感じる様になったのが、過去の自分でした。


自分の過去
現在の自分


その自分を照らし合わせる度に、ミタさんと同じ様に
自分は幸せになってはいけない
そう思っている自分がいました。


最終回のクライマックスでミタさんが語った様に
私は私の重たい【十字架】を背負って生きて行かなきゃならない…。


以前、友人に、こう言われた事が有ります。


『志保ちゃんを見ていると、自分ひとりで生きているってしか、どうしても見えない』と。


その言葉の意味は良く分かります。
じゃ、その言葉の意味を言ってみろ!
って言われたら、言葉下手な私なのでスンナリトは言えないと思う。
でも、それが、私の今の生き方なんです。


その生き方が間違っているのか正しいのかは、誰にもわかる事が出来ない。
一番分かっているのは、この私だから。


だからこそ、何かに気づき、何かを変えたい!と思うからこそ
もがき、傷つき、悩み、泣くのでは無いのでしょうか?
悔しいからこそ、違う自分を演じてしまう…のではないのでしょうか?


目に見える【変化】を見て、人は変わったね!と褒めるかもしれない。


でも、その変化に一番先に気が付くのは、本人。
その本人が変化に気が付いた時に、その自分を素直に受け入れるか受け入れないか…
それが、成長であり変化であると、私は思うのです。


私にも、壮絶な過去が有ります。
その過去を詳細に語れる事が出来る友人は、今はいません。(話した友人以外)
それが、先にも書いた様に『志保ちゃんは一人で生きている様にしな見えない』と言われている一つなのかもしれません。
本当の【素】の自分を一切合財曝け出せる様になるのは、いつなんだろうか?





ドラマのミタさんに戻りますが、ミタさんには、その過去を話せる、話せるようになった人々が出来た。
それだけでも、ミタさんの変化が有ったのだと思う。
阿須田家の人々の力では無く、ミタさんが『変わりたい』そう思い続けたからこそ、奇跡が起きたのだと思う。


ラストはミタさんらしく終わり、ホッとしました。


良く、私の周りの人々は、こう言います。
『基本的には人は変わらないんだよ。変わるのは、その人自身の心が変わる事』と。


私も、自分で自分の変化に逸早く気が付ける様に

生きて行きたいです。