父が倒れてから1年が経った

この日に父が倒れた
そして、7ヶ月間もの間、生死を彷徨った。
昨年の12月7日に無事に退院した

退院後の今日(こんにち)、父の体は今までより、不自由になってしまったけども
今までとは変わらぬ『口調』で私と喧嘩をするようになった。
隠れてビールを『コソ飲み』する様になった。
ガミガミと家庭の事まで口を出す様になった。
口だけは達者になってしまった。

言葉を悪く言えば【元の鞘】となるけども
もっと前向きな言葉に置き換えればココまで【快復】したになると思う。


そんな今日
嫁に行った妹を含めて【家族】で祖母がいる老健にお見舞いに行って来た。
祖母は祖母で、先週より『手指』の拘縮が進み、指の浮腫みが出ていた。
軽くマッサージをしながら、拘縮を緩和させるマッサージをしていたら、指が少しずつ開き始めた。
妹と私の名前すら出てこない状況でした。(先週は私の名前は直ぐに出たのに…)
やっと少しずつでもあるけども、会話を済ませ、プリンも食べて帰室。


妹を送りながら、川越温泉へ。
ゆっくりと湯につかり、夕食を食べて帰宅となりました。


父がなぜ助かったのか?
気になる人が沢山いるかと思います。

私がどんな仕事をしているのかを知っている人は…
「アレで?」と思うかと。
しかしながら、私は一切、父に関して念入りにはウチの製品は使用はしていません。

じゃ、何故?
となる訳ですが…

言葉を簡単にして言うならば
【家族の愛情】だと言う事だと思います。
薬よりも、何よりも効能のある
大切な大切な【家族の愛情】
目に見えない大きな大きな【力】が父の生命力を助けたのだと。

ココまで書くのに、チョットだけ長くなりましたが…


川越温泉で妹と母が来る前に父が私に言いました
「あぁ〜ビール飲みたいなぁ」と。
私は父に言いました。
「飲みたければ飲めばいいじゃん」
父は私に言いました
「でも、お母さんとアッコが怒るから…」と弱気発言。
私は父に言いました
「隠れてコソっと飲むから怒られるの!飲みたければ飲みたいと言って、堂々と目の前で飲めば良いの」
父は、まさか私がそんな事を言うとは思ってもいなかったんでしょう…
ビックリした表情をしていました。

でも、父は、母にキチンと素直に「ビールが飲みたいから飲んで良いか?」と聞いていました。
ココが今までの父とは変わった行動。
母は私に答えを委ねます。
私は母に言いました
「飲みたいんだから飲めば良いの。だめ!と言うから隠れて飲むんだから、私も飲むから飲ませれば?」
と委ねた答えに、逆に答えを委ねました。
そうして母のOKを貰い父は嬉しそうに生の小を飲みました。


今までの私ならば「ダメと言ったらダメ!」と言っていたでしょう…。
でも、ココは《アノ法則》に沿って、今までとは逆の言葉を父に言ってみました。

声に出しはしなかったけども…
嬉しそうな父。
たった1杯のグラスビールで酔っぱらってしまった様子。


そんな訳で
今日は『ビジョン』と『プロセス』
『父が倒れてから1年が経った』
と言う2つのタイトルのブログを書かせて頂きました。
今日のブログは、今の私にも、これからの私にも大切な内容だと思って
自分自身に読み聞かせる様に書いてみました。


しかし、この1年は
長かった…
いや
短かったような気がする。
内容の濃い1年でした。